2003年11月 6日 (木)

環境汚染の現場へのアクセス

この10年来、中国の環境問題の研究を進めるなかで、最も腐心したことといえば、環境汚染の現場にいかにして近づくかということであった。環境汚染の現場を見ることなくして、環境汚染の実態はわからない。しかし、中国ではそれがなかなかできないのである。ひとつには、環境汚染問題が非常に深刻な地域では、それ自体が社会不安を招きかねない「政治的に敏感な問題」であるからであり、またひとつには、(これは日本でも多かれ少なかれあることだと思うが)自分の庭の汚れたところをわざわざお客さんに見せたくないという心理が働くからであろう。

1997年から99年まで私は北京大学環境科学センターに客員研究員(訪問学者)として在外研究の機会に恵まれ、「中国の環境問題と社会変動」という大きなテーマのもとで、特に当時国内外で注目されていた淮河(わいが)流域の水汚染問題を追っかけていたときもそうであった。運良く、同流域の持続可能な発展戦略に関するプロジェクトの現地調査に何度も同行させてもらったものの、現地の流域委員会経由ではなかなか汚染の現場に行く機会がなかった。最も、私自身も強くそれを要求したわけではないし、時間や調査テーマ自体の制約もあった。結局、最も汚染の現場に接近できたのは1998年11月に、旅行と称して北京の旅行社を通して現地の車の手配をしてもらって江蘇省北部を訪れたときであった。特に、茶褐色の濁りがひどく悪臭を放つ運河で、お米を研いだり、野菜を洗ったりしているひとたちや、水汚染が最もひどいと言われる洪沢湖の水を生活用水として使っていると見られる船上生活者など、「汚染水源に生きる人々」との出会いは、報道や行政資料からは見えてこない同流域における水汚染問題の社会的側面の深刻さを気づかせてくれたものである。

また北京での在外研究の間に中国政法大学の王燦発教授と知り会う機会を得たのは、私の中国環境研究のひとつの分岐点になったように思う。それも98年11月であった。王教授は同年10月に同大学に全国の環境汚染被害者への法律援助活動を行うセンター、「公害被害者法律援助センター」(中国語で汚染受害者法律幇助中心、英語でCenter for Legal Assistance to Pollution Victims: CLAPV)を設立させたばかりであった。その後のCLAPVとの研究交流を通して、環境汚染紛争の現場を訪れ、被害者の方々から直接お話を伺う機会もできた。これで、ようやく環境研究の原点に立てるようになったと言ってよい。CLAPVとの研究交流の経緯や様子については追々書いていくことにしたい。

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