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2005年8月17日 (水)

 2005年7月23~25日に、淮河流域の水汚染問題に取り組む環境NGO、淮河衛士(淮河水系生態環境科学研究センター)を約1年ぶりに訪問し、沙穎河流域村落における水汚染被害の状況について見聞を深めた。1年前の訪問記については、2004年10月20日付けの記事「淮河流域の水汚染問題と現地NGOの活動」を参照されたい。

 まず、23日は上海から午後便で鄭州に飛び、鄭州から昨年と同じ運転手(元村長)のタクシーで約3時間かけて周口市沈丘県槐店回族鎮に入った。淮河衛士代表の霍岱珊氏と再会ののち、近くのレストランで二人の息子さんとともに、夕食をとりながら、ここ1年間の水汚染被害の状況変化について話を伺った。

 24日は、午前に、昨年8月にCCTVで報道された黄孟栄村を訪問し、続いて浙江衛星電視台の取材現場となったという陳口村で老書記らと立ち話をした。お昼は霍氏宅でいただき、少し休憩した後、午後遅くに昨年行った東孫楼村で同じ人と懇談し、最後にその隣の解庄村で村の書記と衛生所の医師らの案内で癌患者の訪問を行った。

25日は、項城市の二つの企業を訪問した。まず、蓮花集団の廃水垂れ流しの現場を案内してもらい、その足で隣の丁集鎮の綿羊皮革生産基地を鎮副書記の案内で見学を行った。その後、蓮花集団に戻って排水処理施設を見学したあと、河南蓮花味精素株式有限公司の環境保護処を統括している副総経理にお会いした。

今回の訪問による発見、感想について以下に記す。

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2004年10月20日 (水)

2004年8月に北京で国際シンポジウムに参加したあと、22日から24日にかけて河南省の淮河流域を訪問した。その訪問記は現在準備中であるが、ここでは淮河流域の水汚染問題と現地NGOの活動について今回の現地調査を踏まえてまとめておきたい。

淮河では1970年代から河川水質が悪化し、従来から発生していた洪水や干ばつに加えて、水汚染事故が発生するようになった。水質悪化の主な原因は工場廃水に加えて、生活汚水や農地における施肥や農薬使用による土壌・水質汚濁とされている。『中国環境年鑑』及び『中国水利年鑑』各年版では、淮河流域において度重なる水汚染事故により、工場操業停止、漁業被害、断水、健康被害などが起きていると報告されている。1994年には3度も大きな水汚染事故が発生しており、そのうち7月の事故では150万人にのぼる流域住民が断水の影響を受けた。この7月の事故は、淮河上流の支流域で暴雨が降った際に、洪水防止のため水門を開け放流したところ、これまで上流にたまっていた大量の汚水が下流に拡散して、70キロメートルにわたって汚水の帯が形成されて起きたものであった。1995年には「淮河流域水汚染防治暫行条例」(政令に相当)が国務院から発布され、翌年には流域全体のCOD(化学的酸素要求量)排出負荷量を総量規制するための5ヵ年計画が公布され、小規模製紙工場を閉鎖または生産停止し、流域すべての工場に排水基準を遵守させるなど、工業汚染源対策を中心に水質規制が強化された。そうして淮河流域の水汚染対策は全国の環境汚染対策のモデルとなり、全国レベルで15業種の小規模汚染工業の取り締まり・閉鎖または生産停止とすべての工業汚染源の廃水・廃ガス排出基準の遵守が求められるようになった。

しかし、そうして水汚染対策が強化されて以降も汚染事故が絶えない。

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2003年11月 6日 (木)

この10年来、中国の環境問題の研究を進めるなかで、最も腐心したことといえば、環境汚染の現場にいかにして近づくかということであった。環境汚染の現場を見ることなくして、環境汚染の実態はわからない。しかし、中国ではそれがなかなかできないのである。ひとつには、環境汚染問題が非常に深刻な地域では、それ自体が社会不安を招きかねない「政治的に敏感な問題」であるからであり、またひとつには、(これは日本でも多かれ少なかれあることだと思うが)自分の庭の汚れたところをわざわざお客さんに見せたくないという心理が働くからであろう。

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